『江戸時代は、男女問わず、60㎏の米俵を運ぶことができた』
ブタ子は今日、上記ような衝撃のタイトルの記事を読んでしまった。
普通の人にとっては、限りなく「ふーーーーーん。で?」な話であろう。
これは武術家である、光岡英稔さんという方が、『現代ビジネス』のインタビューにて「本当の強さとはなんなのか」について、探究してゆかれる上で、現代人の体やトレーニング中毒について語っておられる記事であるが・・・
元記事:http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46027
ちょっと待って! 考えながら読んでみてちょうだい。
現代人からすればとんでもないタイトルである。
まず、なぜとんでもないかは、米俵について先にお話しせねばなるまい。
今現在農家が出荷している、あの紙の米袋は、一俵30㎏である。
尚、サイズは選べるけど、 これは30㎏のタイプでいちばん、一般的なもの。 |
それすら貯米庫に出し入れし、精米機に投入し、また米びつに入れ、することは大変な作業である。
女性では難しいので、米びつに米がなくなったらまず「父ちゃん父ちゃん」と男手を頼み、それから精米が始まるのが、農家の一般的な風景ではなかろうか?
(女性なら、これの半分くらいの一斗缶(「よしもと新喜劇」の島木 譲二さんが、「カンカンヘッド」やってるやつがコレ)に、米いれたものを運ぶのも大騒ぎであろう。)
ところが、日本昔話や、何かのくじ引きで「優勝者には米一俵」と書かれている、ワラでできたあの「ザ・米俵」は60㎏である。
紙の米俵の、きっかり2倍!
もちろんこんなものを運ぼうとするとどういうことになるか、簡単に想像できると思う。
普通の状態ならば、男性二人がかりで「重いや、持ちにくいや」などとワーワー言いながら、「どっこいせどっこいせ」である。
一斗缶(15㎏) < 現在の米袋(30㎏) < 米俵(60㎏)
すべて倍の大きさ。
光岡氏は、このインタビューの中で、
「かつて体は、生活の中で養われていくので、わざわざ鍛えるまでもなかった」
「現代人は、エネルギーを持て余している。」
更に、
「頭脳労働が増え、体を用いなくても生きられる社会になった事が、私達の体に大きな影響を与えている」と述べている。
ここまでは、私にとっても「ふーーーん」である。
しかし、思わずブタ子が「えっ?!」と、けっこう大き目の声を上げてしまったのは、この後の記述と写真である。
江戸時代末期に書かれた文書にはこう記されている。
「一俵の重さが今のように決められたのは、成人した大人なら男女問わず誰でも持ち運べる重さだから」と。
そしてその下に、こんな2枚の写真が添付されている。
「ひどい苦役を課せられた!」とかって感じより、 普通に日々の仕事をこなしてる感じ。 |
何かの間違いじゃないのかと思える絵ヅラだけど、 米俵にはきちんと「米」と明記してある。 |
・・・衝撃としか言いようがない。
てっきり、真綿産業か何かの俵かと思ったが、担いでる俵には、しっかりと「米」の文字が見える。
光岡氏は、続けて
「ネット上では冷笑や嘲笑、いがみ合いに相当なエネルギーが注がれています。
これも持て余した力のひとつの発散に思えます。
機械に頼らず農作業を一日でもしたらわかると思うが、おそらく疲れ果てて寝るだけになるであろう。
食べて寝ることに傾注した暮らしでわかるのは、人の諍いや争いは人間社会の中で争えるだけのゆとりや余裕があって生じるということではないか。」と述べている。
そういえば、先程の健康番組で、「長時間のデスクワーク(座り仕事)は、たくさんの病気を生み出す」ようなことが特集されていた。
昨今では、デスクワークも立ったまま行う会社も出てきている、と言っていたっけ。
・・・でも、みんなの憧れ「ホワイトカラー(一般に、頭を使ってするデスクワークなどの仕事の事。背広やカッターシャツを着て働くことからこの呼び名に。)」の仕事から、デスクワークを取ったら、何が残るの??
・・・ブタ子も、事務職の時には見るも無残に、下っ腹と顔を中心に、ぶっくぶくに太っていき、出荷前の豚のようであった。
でもデスクワークを辞めたら、1週間もたたないうちにやせ始めてしまった。
とある工場で、長時間の立ち仕事をした際は、人々から「病院に行け」と言われるくらいガリガリになってしまったこともある。
別にハードに動く仕事ではない。
わざと中腰で、両腕を上げて作業したので、筋肉が付き、余分な脂肪が落ちただけの話である。
そんな体勢は、求められてもいないのに(笑)
でもガリガリに痩せるのを目指しているわけではないので「もっともっと」とは思わなかった。
では先ほどの、米俵を一俵ずつ担いでいる人達の写真を見て欲しい。
・・・ほとんどが男性のように見えるが、女性も居るのだろうか・・・その腹回りに注目して欲しい。
恰幅がいいように見えるし、現代人の中年のブヨンブヨンになってしまった腹とは、違う種類の腹周りの太さだ。
上半身から、地面に触れている足までの体幹が、どっしりとしているように見えるが?
そして俵を担いでいる場所は、肩ではなく、肩のすぐ後ろの筋肉を使っているように見える。
そして今度は、同じく先ほどの300Kgの米俵を、当然のように担いだ女性達の写真をもう一度、よく見てほしい。
前かがみだし、古い写真なのでわかりづらいが、現代人の体型とは明らかに違う。
絵に描いたような、小さな背丈で、寸胴で、足も地下足袋を履いているのか太く、そして短い。現代女性が「デブ」の次に、「絶対なりたくない(典型的な日本人)体型」である。(失礼な!)
そしてこの人達が生きているとしたら、現在90歳くらいにはなるはずである。
でも1番は、足元を見て欲しい、二本の足を、しっかりと肩幅に開き、地面を踏み据えている。
そして直立はせず、前かがみとはいえ、極端にかがまず、ほんの少しだけの前かがみである。
これは・・・何を意味するのだろうか?
単に昔の人が力持ちだったのだろうか?
・・・彼女達の背丈は、時代的に考えても、おそら150cmくらいの私より、まだ小さいと思われる。
現代の私達がなりたがる体系は、男ならば
「長身で、シックスパックの、ウエストがキュッと締まっていて、全ての手足に綺麗な筋肉がついている」etc
女性ならば
「背丈はともかく、スラっと足が細くて長くて、バストが豊富で、ウエストがキュッと締まっていて、お尻は小さくても大きくても形がよくて」とかなんとかである。
そして事実、欧米文化が入ってきてから、そういう体型の人達を実際に見かけるようになったので、益々現実としてそういう体型を目指すようになってしまった。
画ヅラは「何コレ(笑)」だけど、 世の殿方の理想は、ちょうどこんな感じであろうか。※ 実際、前からこういう人達が来たら、逃げた方がいい。 |
普通にこの写真を見ただけなら、 「実にお美しい・・・」 「実に健康的!」 と、言わざるをえない体型ですが? |
お気づきの通り、現代は子どもまでが、足が長い子が目立つ。
でも、日本人はともかく、欧米の人も、そもそも昔からそういう体型だったのかな?
100年前のヨーロッパの写真など見ると、女の人達の腕もウエストもとてもふくよかで、上半身の肉付きも、胸に限らず大変よい。
・・・がしかし、無茶からコルセットで、ウエストを不自然なまでに細く縛り上げている写真も多い。
コルセットで締めすぎているものの、肩幅やお尻のサイズからして、骨格がどっしりしていて、ふくよかである事がうかがえる。 |
日本でも、着物は男女問わず、寸胴にフィットする作りである(笑)
現代人に着物を着せようとすると、かりかりに痩せてしまっているので女性の腹にもタオルを入れないと着物はかなりのシワまみれ!
男性にはバスタオルを入れないといけないくらい、着流しが似合わない。
そうせねば、恰幅が悪くなってしまう作りなのだ。
これが一般男性って・・・ どういう体格してんの?!もはや現代人とは比べものにならない。 |
女性の私からは、「現代男性よりは、守ってもらえそうで、頼もしくてステキ!」と言いたい。
そりゃあ30~50Kgの鎧着て、走り回れるワケよ!
一節によると、
「鎧を着るとヨロヨロするので、実際には走るのは無理であった」
「馬に乗るのが前提なので、こういう重いものを着ていた」
とかいう説を唱える人も居るけれど・・・状況を考えて、戦場でそれはないだろうって思わない?
「我が領地、我が家族を守るために戦う」って状況で、走る事もできないという仮説って、どうなの?
それにしても、この短期間で、どうしてこんなにも人間の体型は変わってしまったのだろうか?
肉体労働より、頭脳労働になってきたから?
あの写真の時代は、肉をガツガツたべる時代ではないし、流通の関係で、魚も毎日あるわけではないから、
畑仕事から戻ったら、ガツガツと白くもないヒエや粟の混じった栄養満点の米を食べ、取れたての野菜をグツグツ煮て、腹いっぱい食べて寝ていた生活から変わってしまったから、こんなにも自律神経を患う人が増え、体の真の強さが変わってしまったのだろうか?
単に欧米化して、スタイルが良くなったというだけの話なのだろうか?
私達が嫌がって捨ててしまったあの、「小さい背丈に、寸胴で、短くて太い足」には、ひょっとしたら地面を踏みしめる上で、生き物として欠かせない何かがあったのではないか?
その体型になんとなく見覚えがあると思ったら、93歳になる我が祖母の体型にソックリなのである。
実際にはもっと太っていたが、世代もピッタンコである。
そういえば、現在の小学生に運動場のトラックを走らせようとすると、カーブに差し掛かったとたんに、バタバタと次々こけてしまうのだそうだ。
それどころか、運動オンチの子の割合がとてつもなく多いのだそうだ。
「カーブではどのくらいのスピードで走れば、(遠心力があっても)うまく走れる」とかいうのが、走り慣れていないから、わからないらしくそういう事が起こるのだと、TVの教育者が言っていた。
現代生まれてくる子ども2人に1人は、喘息。
もう片方は、アトピーを持って生まれてくると言われている。
↑ ↑ ↑
これはさすがに嘘じゃないの?! と思う。
健康な子いない事になっちゃうじゃん!
「ヒエや粟、古代米などの、つぶつぶ雑穀を食べることで、癌は治せる」と提唱しておられる先生がいる。
つぶつぶ雑穀が、末期がんですらも治す助けになるのだという。
「人間は、贅沢をせずとも、少しだけ塩気のある汁と豆・そして雑穀米を食えば、病気を遠ざけ、長生きができる」と唱えるマクロビオティックという、日本発祥なのに、今や外国の方が人気のある健康食事法もある。
(当の日本人は、必要もない量の脂を取り、ファーストフードもスナック菓子も大好きになってきた)
私が何が言いたいかというと、生活習慣と、運動をし慣れていない事で、次の世代になればなるほど、体型と神経系が変わっていき、体の体幹もどこかくるってきているのではないのかという事である。
おそらく私達から2,3世代も過ぎたら、今の私達の体型も「若き未来人達」が「最もなりたくない体型」になっていることだろう。
そして先ほどの、おばあちゃん世代の「力に満ち溢れ、生きていくエネルギーにあふれた体型と、運動能力」は、後世になればなるほど、もう戻ってくることはないだろうと思う。
それはボディビルダーのような観賞用?の筋肉ではないのだ。
ものを運ぶという、生物には欠かせない、生きていくには不可欠だった能力だったはずなのだ。
「そりゃぁはるか昔の人達と比べれば、弱くなってんの、当たり前じゃん!」って??
イヤイヤ普通、人類の体格が変わっていくのは、何千年? 何万年? かかけて、少しずつ変わっていくもんじゃないの?
なんでたかだか、3,40年で、こんなにも筋肉と軸を失ってしまったの??
スピード早すぎじゃない?!
・・・しかもこうなると、進化なのか退化なのかすら、答えづらいわ!!!
若い時はとても力持ち有名で、近所や母さんの実家から重宝されてた父が話していた。
「もう亡くなったがワシの父(ブタ子の祖父)、そして祖父(ブタ子の曾爺さん)は、あのワラの米俵(60㎏)をいつも平然と運んでいていた」と。
そしてまだ若くかった父ですら、その父親や、祖父にはかなわなかったそうだ。
冒頭の光岡氏は、武術というフィールドから、現代人の体の弱さを危惧しておられるが、私は野良仕事を愛する者として、「美しさってなんだろう」と思ってしまった。
更に、「寸胴で太い短足なんて絶対イヤ」なんて、
ちょっと物を持たせれば「おも~いっ! 持てないっ! ○○君、持ってよぅ」
と、のたまっている同じ口が言うのだから、すごい事である。
・・・ハナから、持つ気、サラッサラないんだね・・・。
(でも大丈夫! そういう子は、必ず「レディーファーストじゃん!」って言い張るから。)
どこの国にも「ホワイトカラー(カッターシャツを着て働き、主に事務所やデスクワークで頭を使う層)」が「ブルーカラー(主に肉体労働者のこと)」をバカにする傾向はみられますが・・・でもざ~んねん!
どんなにバカにしようとも、ホワイトカラーも動物なんだよね!
だから、体を動かさずして、健康でいられるようには、できてないんだよね★
でも、そのポジションにいる為には、ジムとか通って、そ・れ・だ・け・の為に無茶から運動しないといけない仕組みなんだね!
・・・なんだか滑稽ですが、大都会に行けばいくほど、その傾向が見られます。
だから田舎のジムより、都会のジムは、大繁盛です! うふふふふ★
そして彼らは、タオルで汗なんか拭きながら、ミネラルウォーター飲みつつ、声を揃えてコメントする・・・
「いいストレス発散になりますしね❤」って。
・・・フラストレーション溜まってるの、認めてるじゃんww
話を戻して・・・
いや待て、この写真の世代である、現在90歳くらいの人達に訊けば、60Kg の米俵を肩まで持ち上げ、運ぶ方法を知っているのだろうか?
もちろんコツはあるだろうけれど、方法の問題なのか?
ブタ子はこの写真を見て、思わず、
「私にも、体を支えるコツがわかれば60㎏の俵くらいなら運べるかも!」
と、ある種、羨望のトライをしてみた。
(70キロの人を背負ってみた。)
すると、この女性達のような体勢を取れば、30キロだろうが、70キロだろうが、重さは関係ないらしい事がわかった!
私が背負ったのは人間であるから、米俵と違って、形の持ちやすい・持ちにくいはあるかもしれないし、背中の人間が、意思を持って、しっかりとおぶさってくれるから、運べただけの話なのかはわからない。
が、程よく前かがみになった上半身の胴の両端から、広げた両足で地べたをぐっと踏みしめることで、体の軸をそれこそ木の幹のラインが大地へと流れるように繋がっているように、バランスよく力が作用し、体を支えられるのではないだろうか。
実際やってみての感想は、
おそらく極端な重さや、勢いで載せない限り、ある程度の重さの違いは関係なさそうである。
要領よく運ぶためには、もちろん鍛錬も必要だろう。
つまり体幹(体の軸)のブレ具合の退化?もプラス作用になり、こんなにも現代人はひ弱になったのではないだろうか?
もはや現代人のほとんどが失ってしまった能力だから、憶測しか出てこない。
いま一度、考えてみよう・・・
本当の健康って何だろう?
「美しく痩せる」の「美しい」って何?
私達は何を捨てて、何を失ったのだろうか?
次の世代、次の世代にもまた、何の疑いもなく、弱く弱くなってゆく子ども達を、普通に生んでいくのだろうか?
身体の強さとは、健やかさとは、どこから生まれてくるのだろうか?
今一度、振り返ってみて欲しい。